
『釣り』という道楽を初めるキッカケは人それぞれ
幼少時代から、親兄弟や身内に釣り好きな人間がいて
釣りをすること、釣りに行くことが自然の成り行きだった‥‥とか
よっぽど他に遊びがことがなかった(笑)‥‥という方は置いといて
ごくごく一般的な家庭で生まれ育った子供達が『釣り』に触れられるキッカケというのは
ありそうで、なかなか無いものです
かくいう自分の場合
近所の渡良瀬川や桐生川で、8歳の頃から自発的に釣りをしていたわけですが
身内に釣り好きな人間は、誰一人として居ない状況でした
それとて突発的に『いきなり釣り』を始めたというわけではなく
しっかり釣りの原体験というのが存在するのです
それは
釣り堀
幼少時代、家族で出掛ける『釣り堀』こそが
僕が釣りを始める動機であったことには間違いありません
人間の記憶に最も刷り込まれるのは『においの記憶』と言いますが
生臭いマスのニオイ、練りエサ特有のニオイ、塩焼きのニオイ
これら三種の臭気(笑)が入り混じる空間にいると
50年近い歳月を飛び越えて
この幼少時代の釣りの記憶が鮮明に蘇ってきます
ただ自分にとっての、その時の記憶は
『魚が釣れた』という感動ではなく
むしろ『釣れなかった』という、悔しさに満ち溢れていたものでした
昔から
自分が得意なジャンルには差して興味がなく
どちらかというと『人より劣る』物事の方に
やたらと夢中になる傾向があるらしく
そんな天性の天邪鬼気質が
今の自分の釣り人生を構成している、と言っても過言ではありません


その昔桐生川の支流、高沢にあった釣り堀こそ自分の釣りの原点と言えます
その面影は随所で見受けることができますが地元の人間でないと、その存在に気付く方も、今では少なくなっているでしょうね
あれ、こんなに狭かったかな?
無理もありませんよね自分が小さかっただけですから(笑
釣り人口を掘り起こそうと
様々な団体が、予てより色々なイベントや仕掛けを考えています
『至れり尽くせり』『上げ膳据え膳』なイベントでどれも素晴らしい試みです
ただ残念なことに、そのほとんどが年に一度だけ的なモノばかりです
面白いと感じても、次の機会が一年後だと、そんなの大人だって興ざめてしまいます
とにかく時間を空けてしまってはダメなんですよね
僕の考えは、いたってシンプル
二ヶ月に1回、半年に1回でも良いので釣堀での家族サービスで子供達が自然と『魚と触れ合える』機会を定期的に作ってあげることが大事なんじゃないかと思います
『食』を通じ、間接的に『釣り』と関わることで敷居は下がり、間口もグッと広がります
まぁ、どんなキッカケにせよ釣りを続けてさえいれば、釣り本来の楽しさにも(獲物を取るだけでない)いずれ目覚める日も来るでしょう
趣味が『釣りだけ』でも充分だった我々の世代ですが次世代は違います
膨大な娯楽の選択肢の一つとして‥‥広く浅い趣味の一つとして‥‥
今後は時代と共に『釣り』に対する関わり方も変わっていく事でしょう