平田浩哉
君とは2000年11月30日発行「Stream Side」誌掲載の“SS FlyFishingアカデミー”第五回の取材で訪れた9月の石打塩沢インターにて枻出版のエディターと演者という関係から始まりました
第一印象は…
まぁ、よく喋くるヤツ(笑)
この初取材で…これは魚を釣ることが目的ではなかったけど、結局は絵的に魚の写真が欲しい…ってなって
ソレこそ、すぐに釣れると思ってたけど台風の後ということもあって?…これが全然釣れない(^_^;
そんな中、君が先に魚(イワナ)を釣ってしまう(^_^;)というありがちな取材事故(笑)
カメラマンと生徒さんを放置して、真っ暗になるまで二人でガチ釣りになっちゃったけど…結局、俺には釣れなかった(^_^;)
この記事も懐かしい
出会ったその日に初っ端から“かっこ悪い”ところを曝け出しちゃったわけだけど…
それでもこんな俺を慕ってくれて
何かに付けて「師匠!」「師匠!」って呼んでくれました
そもそも
“弟子”にしたつもりもないんだけど…
思い立ったら即行動!…と言えば聞こえは良いけど
単にセッカチで、落ち着きがない(笑)とも言えるわけで
手を滑らせて、よくモノを落としては…壊す
機械モノをバラすのは大好きで…
基本的は器用なんだろうけど手際よく組み上げる所業は、どう贔屓目に見ても“テキトー”にしか映らなかったから
傍で見ていて、元に戻せるのかいつも不安でしかなかった(笑)
Streamsideが休刊(事実上廃刊)となり
母体の枻出版も、ほどなく倒産
編集者と執筆者という関係だけなら
彼とのつながりはココで完全に終わる…ハズなんだけどなぁ
前橋では始めた一人暮らし
当時遊んでいた女性より、ヒロポンが泊まりに来ていた回数のほうが多かったかもね(笑)
自分に再び訪れた独身生活の六年間その孤独な部分は
彼に埋めてもらった…と言っても過言でないかも知れません
気が付けば、自分が何か新しいことに挑戦するシーンでは
いつも傍に居た気がします
増えるワカメでおっ立つフォーク
これを俺に見せたいが為に
妙義山縦走にも二つ返事で付き合ってくれたりもしました
所々に関西弁が入ってくると、話題が盛り上がってきてる証拠で
そういうところなんか凄く判りやすくて…
裏表のない
心底付き合いやすいヤツでした
知り合って22年
あまりに早足で駆け抜けていってしまった人生だったな
俺が再婚してから次第に疎遠になってしまったのは
君なりの気遣いだったんだろうけど…今となっては、その時間が悔しくてならないです
亡くなる、ここ数ヶ月間は電話を通して頻繁に昔話で盛り上がれたのは良かったかな
こうなることは避けて通れない未来として、薄々は感じてはいたけれど
でも、いくらなんでも予定より早すぎ!気持ちの整理が出来ないじゃないか
明日には荼毘に付してしまうんだよね東京の空に煙になって昇る様は、俺もキッチリと見届けてやるからな
在りし日のヒロポン
合掌